sekiwataruの日記

Ph.D(filosofia)のソリロキア

宗教批判

無神論者の読む『聖書』ー『ルカ福音書』2:14「地に平和」【後編】

地に平和、すなわち抽象的観念の場でではなく、実際に人間が生きているその現場でこそ平和を遂行する。『ルカ福音書』2:14が語る平和はまさにそれを基点としているのであって暗夜を放浪するが如く彷徨する人間に負わされた苦痛を除去する為にこそ平和を語る…

無神論者の読む『聖書』ー『ルカ福音書』2:14「地に平和」【前編】

予め個人的立場を明確にしておくなら、"神"という概念は人間が考え出した観念に過ぎぬと見なすものです。何らかの経験的表象から抽出されたのではなく、単に"完全なる存在"という概念を通俗化したものです。だから、人の口に上る"神"とは、それを語る人間の…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第4回

※第4回です。 前回、対話的な思想ではないものを対話により表現することは単に著者の薄っぺらでちゃちな妄想の押し付けになってしまう危険を孕むと言いましたが、問題は薄っぺらでちゃちな著作がなぜ業界から寵愛を受けるのか、ということです。その薄っぺら…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第3回

※第3回です。集中的に論じているので、マルクス本人は今回も登場しませんけれど。 ここでは、アンセルムスの言葉自体がどんな意味なのかではなく、アンセルムスの言葉がどういう意味をなすのか、どんな拡がりを持ち、それは私たちにどんな問いを投げかけるの…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第6回

※第6回、続きです。今回が最終回です。(続き) 前回は、途中でスマホの充電がなくなりそうだったので妙な所で切り上げましたが、その続きとして、もう一度、ニーチェさん本人のテキストに戻って見てみましょうーテキストは前回に掲載してありますー。 テキス…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第5回

※第5回です。公開した後でも、ちょっと手を入れて修正します、すいません。今回の話が長くなりましたので、あともう一回だけやります。結びにかえて、マルクス宗教批判の射程 今まで、「宗教は民衆の阿片である」というマルクスの宗教批判を巡って、「マルク…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第4回

※第4回、続きです。とりとめない文章ですいません。寒い日が続きますのでお体にはお気をつけて。諸事情により無駄な読書をしていましたが何の役にも立ちそうもなく、まぁそういうこともありますなと気分を変えて、以下でマルクスについて考えていきたいと思…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第3回

※第3回、続きです。前回、前々回は文献サーヴェイが主でしたが、今回は思いつくままに文章を書いています。話があちこち飛んですいません。あと、暖房の節約生活をしているので手が悴んで誤字脱字がいつもより3割増しになっています、重ね重ねすいません。3…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第2回

※第2回、続きです。2、「宗教は阿片」をめぐる解釈 以下で見ていくことにしますが、マルクス主義を自認する方々の中でも良質的な人々でさえ、いや、というよりも良質的な人々の方が、「マルクスは宗教を良い人と言っている」という解釈へ向かう場合がありま…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第1回

※只の研究ノートとして某国営放送でやっている『刑事コロンボ』を観ながら軽い気持ちで書き初めてみたら、ちょっと長くなりそうなので何回かに区分しながら綴っていきたいと思います。一応、文献なども文中で紹介はしていますが、論文ではないので脚注の類い…