sekiwataruの日記

Ph.D(filosofia)のソリロキア

アンセルムス

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第4回

※第4回です。 前回、対話的な思想ではないものを対話により表現することは単に著者の薄っぺらでちゃちな妄想の押し付けになってしまう危険を孕むと言いましたが、問題は薄っぺらでちゃちな著作がなぜ業界から寵愛を受けるのか、ということです。その薄っぺら…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第3回

※第3回です。集中的に論じているので、マルクス本人は今回も登場しませんけれど。 ここでは、アンセルムスの言葉自体がどんな意味なのかではなく、アンセルムスの言葉がどういう意味をなすのか、どんな拡がりを持ち、それは私たちにどんな問いを投げかけるの…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第2回

※アンセルムスの第2回、続きです。 前回、考察しようとは思っていたのですが資料がなくてそのままにしていた問いが残っています。それは、何故アンセルムスは神の規定として「より大きいものを考えることができることのない何か」という言表を選んだのか、と…