sekiwataruの日記

Ph.D(filosofia)のソリロキア

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第4回

※第4回です。 前回、対話的な思想ではないものを対話により表現することは単に著者の薄っぺらでちゃちな妄想の押し付けになってしまう危険を孕むと言いましたが、問題は薄っぺらでちゃちな著作がなぜ業界から寵愛を受けるのか、ということです。その薄っぺら…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第3回

※第3回です。集中的に論じているので、マルクス本人は今回も登場しませんけれど。 ここでは、アンセルムスの言葉自体がどんな意味なのかではなく、アンセルムスの言葉がどういう意味をなすのか、どんな拡がりを持ち、それは私たちにどんな問いを投げかけるの…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第2回

※アンセルムスの第2回、続きです。 前回、考察しようとは思っていたのですが資料がなくてそのままにしていた問いが残っています。それは、何故アンセルムスは神の規定として「より大きいものを考えることができることのない何か」という言表を選んだのか、と…

【論考】若きマルクスと「存在論的証明」批判ー予備的考察ーアンセルムスの場合・第1回

序 若きマルクスの宗教批判を考えるついでに、彼が取り上げた神の存在証明の歴史をしばらく見て行こうと思います。神を信じない者にとっては、一見すると神の存在証明なぞはナンセンスでしかないように思われますが、むしろ逆です。神の存在証明は、西洋的な…

【翻訳】マルクス「学位論文」より補遺・注9、1841年。

以下は、マルクスの学位論文『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』より「補遺」の原注の(9)の訳出です。邦訳も既にありますー以下で挙げていますーが、これからブログ記事にしようと思っている「神の現存在についての存在論的証明」をマル…

【書評・再録】Fichte, J. G., Einige Vorlesungen über die Bestimmung des Gelehrten, Kindle-edition.

※Amazonレビューの再録です。少し前に書いたのですが、現状の認識が全くもって変わらないことから備忘録として再録します。 この電子書籍には表題である『学者の使命についての講義(1794年)』の他に『学者の本質、自由の領域におけるその現象について(1805年…

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第6回

※第6回、続きです。今回が最終回です。(続き) 前回は、途中でスマホの充電がなくなりそうだったので妙な所で切り上げましたが、その続きとして、もう一度、ニーチェさん本人のテキストに戻って見てみましょうーテキストは前回に掲載してありますー。 テキス…