sekiwataruの日記

Ph.D(filosofia)のソリロキア

【論考】初期マルクスによる阿片としての宗教ー第1回

※只の研究ノートとして某国営放送でやっている『刑事コロンボ』を観ながら軽い気持ちで書き初めてみたら、ちょっと長くなりそうなので何回かに区分しながら綴っていきたいと思います。一応、文献なども文中で紹介はしていますが、論文ではないので脚注の類いはありません。あと、引用は拙訳を採用していますが、間違っていたらごめんなさい。


「宗教は阿片である」という言説をめぐってー初期マルクスの宗教批判についての研究序説としてー

序、

 若いマルクスが書いた言葉、「それーつまり宗教ーは民衆の阿片である」は璽来、様々に解釈されてきました。そこに端を発するのかどうかは定かではありませんが、自称マルクス主義者の方々は、一方では、とある大国のように国家社会主義の名による独裁体制の下で宗教は旧体制を擁護する邪魔物として人為的に廃棄しようとしました。他方で、歴史的にはその反動として、マルクスが宗教は良い物だと言っていると言説を捏造して、宗教に阿り、マルクス主義を宗教に追従させるような物言いをしながら、同時に宗教側もマルクス主義者を懐柔しようとして、互いの利権を貪る図を見せてきました。しかし、これらはマルクスの宗教批判の鋭さを骨抜きにして、全くもって取るに足らない議論としてしまったのです。従って、マルクスの宗教批判の内実が省みられることはなくなり、マルクス研究者ですら、それを過去の遺物のように扱っています。しかし、これは人間の知的な営みである「批判」の伝統において不幸であると言わざるをえません。マルクスの宗教批判は、その本来的な意味において人間の考察であり、現実を生きる人間を取り巻く抑圧についてであり、実際の人間に関わる問題意識そのものです。そのため、私たちはもう一度、マルクスの文をマルクス自身の視点から読み直し、更に私たちの現状に捉え戻すようにする必要があります。
 本考察では、マルクスの宗教批判として有名な「宗教は阿片である」を中心に、その視野を考えていきたいと思います。そのためには、以下の手順で、論を進めます。まず、予備段階として現状のマルクス理解の問題点を指摘することから始めます。その上で、テキストそれ自体の考察に移り、テキストが埋め込まれた文脈がどのような視座を持つのかを考察します。それにより、初期マルクスの宗教批判が人間を捉える見方を論考します。

1、「宗教は民衆の阿片である」その伝統ー予備的考察としてー

 この一文は、若いマルクスが『独仏年報』にて発表した「ヘーゲル法哲学批判序説」の中に書かれています。そして、まるでこの言葉がマルクスの宗教批判の根幹であるかのように語られ、とりわけ、宗教側からの槍玉に上げられるセンテンスとなってしまいました。しかし、周知のように、宗教を「阿片」と関係づけて批判するのは、マルクスの専売特許ではなく、むしろ、同時期のドイツでの思想潮流でありました。その潮流を担っていたのがマルクスと関わりのある青年ヘーゲル派であったのです。この点について、しばらく考えていきたいと思います。
 まず、青年ヘーゲル派はヘーゲルの何に基づいて宗教を批判したのか。この問題を論じるだけで大著になりますので、参考文献で誤魔化します。ちょっと古いですが、Benz,E., Hegels Religionsphilosophie und die Linkshegelianer., "Zeitschrift fuer Religions und Geistesgeschichte", 1955, 247-270ss, によれば、ヘーゲルがインド・ギリシャ・ローマの古代宗教に人間の生を頽廃的に見ていたというその見方を、青年ヘーゲル派は同時代のキリスト教にあてがったと論じています。確かに、ヘーゲルは『宗教哲学講義』の中で、 ユダヤキリスト教以外の諸古代宗教についてそれを精神を低次に置いていると評しています。ヘーゲルの場合、キリスト教はまさにそうした精神を高めるものとしていますが、青年ヘーゲル派は宗教の共通性として精神を阻害するものとして考えたというわけです。
 この解釈が正しいか否かは置くとしても、青年ヘーゲル派の現状宗教批判がヘーゲルの古代宗教批判の論理に依拠していたことは間違いありません。ブルーノ・バウワーは、『ハレ大学年報』の「キリスト教国家と我々の時代」(1841年)という論文の中で、宗教によって自由な人倫の発動は「麻痺した」と表し、翌年には宗教が全ての地上的な事柄を荒廃させて、「宗教の破壊的衝動という阿片の煙の中で」超越的事態へと民衆の目を向けさせるとを書いています(1842年)。また、モーゼス・ヘスは、1843年の論文の中で、マルクスと同じようなことを書いています。曰く、「確かに宗教というものは奴隷的状態についての悲惨な自己意識を耐え得るものにしうる。…それはまさに病気で痛苦する時に阿片が的確に果たすように」と論じてあります。その上で、しかしそうした類いの信仰は自己を自由にすることは能わないと結論づけています。この辺については、Rosen, Z., " Bruno Bauer and Karl Marx", La Haye, 1977が詳しいです。
 マルクスとの関係で言えば、詩人ハイネも1840年にベルネとの議論の中で以下のように述べています。

  地上がもはやなにも与えることのない人々に、天国が発明された。…この発明に栄光あれ!宗教に栄光あれ!それは苦悩する人類にむけて、苦い杯の中で、数滴の甘くて眠りへと誘う精神の阿片を、数滴の愛、希望、信仰を注いだのだ。(Heine,H., "Saemtlich Schriften" Band III, 1971, 111s.)

 この他にもハイネは、宗教を阿片として語っているようです(vgl. Houben, H. H., "Gespraeche mit Heinrich Heine", 2, Potsdam, 770s.)が、ここからも明らかなように「宗教は阿片である」というのは、当時のドイツの宗教批判のレトリックなのです。
 少し目先を変えてみて、ドイツ哲学の伝統を含めて考えるなら、やはり、カントの『単なる理性の限界内での宗教』(1793年)を忘れてはいけません。その著書の第二編第一章の終わりの註に出てきます。

  人生の終わりにて聴罪師を呼ばせる人の目論見は、慰めを得たいというのが常である。従って、物理的な苦痛ではなく、…むしろ道徳的な、つまり良心の叱責によるものである。ここで、良心は揺り動かされて研ぎ澄まされるようになるはずであり、…しかしそれをする代わりにあたかも良心に阿片を与えることは、彼自身に対しても彼の人生の後に残された他の者に対しても罪となるのだ。(Kant,I., "Die Religion innerhalb der Grenzen der blossen Vernunft", hrsg., von Vorlaender K., Felix Meiner, 1956, 84s)

 なお、アカデミー版だと78頁です。因みに、引用した哲学文庫版の編集をしたフォルレンダーさんはカントとマルクスを関連づけた著作を書いてます。あと、岩波書店の新しい『カント全集』日本語訳第10巻の当該箇所の訳者註ではマルクスの「宗教は阿片である」と語る文を載せるという粋な計らいをして下さっているそうですー知人からの情報ー。それはともかく、ここでカントは良心に「阿片Opium」を与えることを「慰め」を得ることと同意義として、良心の探求を阻害するものとしていることが分かります。
 他にも、話を「阿片」という単語から離れて精神を麻痺させるという意味合いであるなら、シュライエルマッハーやドルバック、あるいはユートピア社会主義者として言及されることもある18世紀は末頃に活躍したマルシャル、この辺りもマルクスの同時代に影響を与えた思想としては含めてもいいかもしれません。とにかく、文字通り枚挙に暇がありません。
 これだけ見ても、今から述べる「マルクスは宗教を阿片であるという言葉で良い物だと言っている」という読みがマルクスの知的環境を全く無視した不勉強な物言いであるということが分かるでしょう。とりあえず、上記をもって「宗教は阿片である」という言説の知的伝統の省察を離れて、マルクスの言葉に纏わる誤解をこれから見ていきたいと思います。

(第2回に続く)